東京オリンピックについて考える
昨日東京オリンピック関係の記事を書きました
そして夜に令和哲学カフェを見て
色々な意味でショックを受けました
開催1か月前の今
「開催するのか・しないのか」この議論はもう終わっている
開催するしかないのだから、だったらどんな開催をするのかを
考えなければいけない段階なんだっていうこと
それは、そうだよねって納得でした
討論を通してたくさん学ぶこともありました
否定派の人たちの不信する心も様々な条件を考えれば
その気持ちは痛いほどによくわかります
その中で、私が1番ショックを感じたのは
国民の80%は反対していて、やるべきではないと思っていて
マスコミやインターネットを通じて多くの反対派がいる
ということはわかっているにも関わらず結集が起こらない
ということへのショックでした
反対派が結集して、国と戦えばいい
決してそういうことを言いたいわけではありません
どれだけ日本で結集を起こすことが難しいことなのか
ということを思ったのです
結集すること
熱くなること
反発すること
意見すること への諦め
この国にはどれだけ深い傷があるんだろうと感じました
そんな現実をみた時に開催するしかないのはわかる
開催するしかないのなら最高のやり方で開催したい
私はそう思うけど、この反対派80%が最高のやり方で開催しよう!
そんな風にひっくり返ることはあるの!?
最高のやり方で開催しよう!ってなるには
反対派の人たちが結集しないとできないんじゃないかって思った時に
それって思っている以上に相当難しいことなんじゃないの!?
そんな風に思いました
だから、じゃどうやって!?ってドキドキしながら見ていたところ
続きは明日!となって本日(24日)の令和哲学カフェに持ち越しに!
えーーーー!!
って思ったけど残りの短時間で駆け足になるのも違うし
自分でも考えてみるってことが必要だと思いました
だから今日の令和哲学カフェがとても楽しみ!というか気になる!
日本の国民が共通のものとして興味関心を持てる話題
国として取り組めるものって日常の中に転がってはいない
そう思った時に、今回のオリンピックを国民一人ひとりが
どんな風にとらえて取り組むのかってすごく大事なことなのかもしれない
ここで日本が反転できるのか
ううん。反転しなくてもいいから反転の兆しがみえるのかどうか
それがすごく大事なことなんじゃないかと今は感じています
令和哲学者のNoh Jesuさんがこのオリンピックは
今後100年・1000年間の日本の未来に影響するといっても過言ではない
と言っています
どういうことなんだろう?って思っていたけど
この国が目覚めること
一人ひとりの国民が目覚めること
それができるかどうかで未来は大きく変わる
オリンピックを道具に私たちがどんな変化を起こせるのか
考えよう!私たちの未来の為に!!
<令和哲学カフェ>