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信じる世界には限界がある

昨日、NohJesu nTech マスター1dayに参加しました。
今回のテーマは

「宗教の本質の大解剖と心の本質をマスターする」

 

最初テーマを聞いた時の感想

 え、こんなテーマ取り扱うの!?

 しかもこんなにオープンに!?

でも、興味津々な私・・・

 

「宗教」

この単語を使うこと自体がナイーブなものに感じる日本

良いとか悪いとか以前にタブー視されているというか。。。

そんなイメージを持っていました

 

海外では信仰があることが当たり前

でも日本では信仰を嫌う無意識がある

だから受け入れ難いものになっている

でも、そもそも宗教ってなに?ってこともわからずに

拒否したり、恐怖したりしているのが現状

だからこそ大解剖されていくことには興味津々!

 

1dayセミナーは

メイン講師であるNohJesuさんのこんなコメントから始まりました

 

 宗教は人間の精神世界で一番深く大きい世界。

 人間はなぜ今でも宗教を捨てることができないのか。

 人間が物質文明をこえられるかどうかの鍵が宗教を超えられるかどうか。

 宗教をこえる精神革命は日本から生まれる確信がある。

 

宗教で世界が平和になるのであれば、みんな信仰したらいいと思う

でも、実際はそうではない

宗教同士の対立は終わらないし

受け入れることもできず分離するしかないのが今の世界

精神世界の中で一番深く大きい世界であっても

つくられている現実をみれば、宗教には限界があるということがよくわかる

 

私たち人間は、今自分が見ているこの世界が何なのか?

何のためにあるものなのか?どのようにして存在しているのか?

そこに対しての追及をしなければならない

それは、私たちがみているこの現実をどう観るかによって

全ての考えや、学問が始まっていくから

 

そして、この世界を否定することから始まっているのが

宗教であり哲学であり芸術、数学、科学になる

その中でも宗教は、この現実を否定して、こうしたら幸せになれる

だからこれを信じなさいと信じることを強制させる

 

私たち人間は、状況や社会環境、自然環境がコロコロ変わる中を生きている

だから意思決定することがとても難しく、また持続性・一貫性を持つことが難しい

そうなると人間は不信・不安・恐怖になり、

事実と思い込みの違いを分けることや、何をどう判断したらいいのかが

わからない状態になる

 

考えること、判断することができない状態だから

何かに依存したり、信じることで自分を満たしたくなるし

信じることで自分の中に持続性・一貫性を補うことをする

これが宗教に入っていくことのはじまり

 

宗教には宗教の素晴らしさもあると思う

信じる世界であったとしても精神性の深さや広さを持つことができる

でも、同時に限界を観て突破していくことがなければ

今の時代には合わないものになってしまう

それが今まさにきているのだと感じた

 

そして、NohJesu nTech マスター1dayの凄さはここから!

ここまでの整理に対してもなるほどー!と理解が進み納得だったんだけど

「この現実をどう観るか」について、もう一歩深いところからの

整理をしてしまう

 

A=notA

まずは、この公式を理解できることがすごく大切!

Aは、私たちがみている現実

宗教も哲学も、芸術・数学・科学もすべて

この現実(存在が有る)世界の中でおきているもの
存在を否定して、否定する代わりに信じなさいとするのが宗教

だから方法論がたくさん生まれてしまう

 

Aの世界を本当に理解したいのであれば

Aの世界を生み出しているnotAの世界を理解しないとならない

 

notA(出発原点、存在が存在しない世界)の世界から

なぜ、どのようにしてAの世界が生まれたのか

その A=notAの理解できた時に、本当の問題が何なのかが観えてくる

そして、それが「言語の限界」

(これは、一言で説明できるものではないので

 また別記事で書けたらいいな^^)

 

A=notAの観点から観た時には

Aの中にある様々な問題や、学問、追求はいくら優れたものであっても

すべて同列のもの一部分のもの

根本問題を発見し、そこに対しての解決策が提示できるのか

すごく深く広い話が聞けました

 

次回は12月17日(土)に「科学の本質を大解剖」するそうです!

これはまた楽しみ!

ご興味ある方は是非ご一緒しましょ!

https://peatix.com/event/3360204/view

知らずに拒絶する日本の文化

日本と海外では宗教観に大きな違いがある。

大学生の時にアメリカに語学研修に行ったことがあったけど

その時に宗教観についての話題が当たり前にでていた

(と、英語が喋れる友達が言っていた(笑))

 

そんな話を聞いた時

もしそんな話題を振られたら、一言も何も話せないな。。。って

思ったことを思い出した

 

海外では日常で当たり前に話されることでも

日本ではタブー視されているような感覚が強いと思う

 

私も元々は宗教のことって全然知らなくて

でもTVのニュースや、周りの人から話を聞くことで

あまり良いイメージは持てなくて自分には関係のないもの

そんな風に思っていた

 

安部元首相の事件も宗教問題が関係している

宗教が悪いとか否定したいとかそういうことでも

素晴らしいから是非信仰しよう!

とかそういうことではなく

 

宗教の本質とはなんなのか

それをまず知ること、理解すること

それが大切だと思う

 

何も知らないのに勝手に決めつけて拒絶する

日本はそんな文化がとても強い


理解すること

これは人間関係でも同じこと

Aさんはこんな人って勝手に決めつけて好き・嫌いを決めてしまったら

関係はそれ以上に始まらない

 

わからないから恐怖する

だったらわかる努力をすればいいだけのこと

 

7月に行われた NohJesu nTech マスター1Dayの一部が

Youyubeにアップされています

聞いて納得したし、興味深い内容だったので動画を貼っておきます

是非見てみてください^^

 

www.youtube.com

どこから問題解決をするのか

私たちが生きる時代は、たくさんの問題が溢れている

大きくいったらこんな危機

1)環境破壊の危機
2)持続不可能な危機
3)AI活用による尊厳破壊の危機
4)貧富格差による共同体破壊の危機
5)少子高齢化の危機

この問題に対して、どんなアプローチをしていくかって大事だけど

それぞれに対しての解決策を考えるのではなくて、

これらの問題を生み出している根本問題からの解決が

実はとっても大事!

そんな研究や発表の場があります^^

↓↓

2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道 – 10月8日~10日 ヒルトンニセコビレッジでオフライン/オンライン/メタバースでトリプル開催!

『竜とそばかすの姫』観てきました!

つい最近、映画を見に行ってきました!

 

見たのは『竜とそばかすの姫』です

もう上映が終わってしまう!ということで

急遽、レイトショーへ!!

 

前々から見てみたいと思っていたけど

実は全然どんな内容なのかも知らず。。。

メタバースのイメージを持ちたいということが

見たいと思う最初の動機でした

 

そんな私ですが、

想像以上に感動してしまって胸がいっぱいになってしまいました

感動ポイントとか、感じたこととかたくさんあって

それを上手に表現できたらいいんだけど

たくさんの感動がありすぎてなかなか表現が難しい・・・

 

でも、今感じていることは

私にとって大切なことだって思うから

感じたことのほんの一部分にはなるけど

アウトプットしてみようと思います

 

映画の内容というよりは、そこから私が今感じていること

 

まず感動したのはBellが歌を歌った瞬間

歌うことができなくなってしまったすずが歌を取り戻した瞬間

 

それは、

再び呼吸ができた瞬間のようであり

声、メッセージを取り戻した瞬間のようで

とっても嬉しくて、安心と感動と喜びと・・・

胸がいっぱいになりました

 

数年前に上映されたボヘミアンラプソディを見た時にも

フレディが最後にライブエイドで大勢の観客を前に歌った時

全てを出し切って表現している姿にすごく感動をしたのも思い出しました

惜しみなく全てを出し切る姿に気持ち良さも感じました

映画を観て、そんなことも思い出しました

 

2つの感動に共通していることは

自分の声、言葉、メッセージを表現している姿なのかなって

思っています

その姿が本当にも美しくて感動で、心が共鳴してしまうのです

 

あなたの声

あなたの言葉

あなたのメッセージ

 

私の声

私の言葉

私のメッセージ

 

最初の一言が出せるかどうか

それが簡単なようで難しい

恐怖や恐れ、諦めや挫折。。。色々なものが襲ってくる

でも、だからその一言が聞きたいし、発したい

 

私はそんなことを感じているんだろうなー

と、映画を観てから感じています

 

私たち1人ひとりが本当の声を取り戻した時

日本も声を取り戻すのかな

そんな風にも感じています

 

たくさんのことを感じ、感動するなかで入った刺激

大切にしていきたいな^^

 

竜とそばかすの姫の内容の解析については

実はこんなセミナーもあります^^

自分で感じた世界や解析もあるけど

一体どんな解析されちゃうんだろう!?

ってワクワクしています^^

アバター経済・メタバース時代のPUデジタル感覚獲得セミナー

 

あーもう1回みたいな―!!(笑)

富士山と共に育ちました

富士山

 

富士山って好きですか?

私は大好きです!

 

静岡で生まれ育ったので、

毎日とは言わないけれど富士山を見て育ってきたし

生活の一部のような存在でした

毎日のように見ていたとしても

飽きることなく、いつ見ても美しさや偉大さを感じる。。。✨

富士山ってそんな魅力があります

 

ついつい眺めたくなり

いつまでも見ていたくなる

不思議だなー

そんな事を感じつつ、ちょっと最近感じたこと

 

昔、働いていた会社で朝礼の時に

70代の顧問が話してくれたお話の中で

「私が小さい頃は、よく親にお天道さん(太陽)がみてるけんねー」

って言われて育ってきたという話をしてくれました

 

それを聞いた時に私が感じたのは

今の時代、親から言われることは

 あれしなさい、これしなさい

 それはしちゃダメ

というように、できていないこと、足りていないことへの指摘

その状態がダメだから、それをどう補うのかというような投げかけ

そんな言葉が当たり前になっていて、

世の中の「こうあるべきだ」という像の中にいかにおさまるのかを

求められるようになっているんだなーってことでした

 

それに対してお天道様が見ているっていうのは

 「誰かが見ていなくてもお天道様はいつでも見ている

  だから悪いことはしたらいけないよ」

という意味と、

 「誰も見ていなくてもお天道様はあなたのことを

  いつも見守っているからね」

この2つの意味があるのかなって思いました

 

そして、それは自分で考える力をつけることにもつながっていたのかな

そんな風に思ったことをふと思い出しました

 

私が富士山を見て感じることはこの感覚に近い感じがしています

特にこっちの感覚

 「誰も見ていなくてもお天道様はあなたのことを

  いつも見守っているからね」

 

富士山を見ると安心する心があって

何か大きな心でいつも変わらずに見守ってくれているそんな風に感じます

だから自分も大きな安心の心を取り戻すことができる

そんな感じ^^

 

富士山は、裾野の広さ、大きさからすると

もっと大きな山であってもおかしくないという話を聞いたことがあります

もっと高くカリスマのように聳え立つ富士山になることもできたけど

そうはならずに、広く深い裾野をもつことによって

より私たちと身近に、共にある富士山でいることを選択してくれたのかな

そんな事を感じたりしています^^

 

格好良さだけではなく

包み込むような大きさを持つからこそ

より格好良く、人を惹きつけ続けることができるのかな

 

きっと私の中の富士山愛は

これからも変わらないことでしょう^^

「おかしい」って訴えている

とあるQ&Aコーナーでのやり取り

私にはとても「なるほど!」と思うことだったので

シェアしたいと思います^^

 

質問は

 コロナ禍で学校の不登校と自殺者が過去最多になっている

 学校にも家庭にも子供が安心できる場がないのが原因だと思うが

 そこについてどう思うのか?

という質問だった

 

この質問に対して

「自殺する人は

 おかしいって訴えている

 あなたが

 見ていること

 聞こえること

 喋っていること

 歩いていること…

 全てがおかしいって訴えているだ

 だから自殺0にしないとだめなんだよ」

という回答

 

私、この回答を聞いた時になるほどー!って納得

自殺っていう出来事に対して

なるほどー!って納得とか

そんな表現はおかしいかもしれないし

あなたに何がわかるの?とか

軽々しく表現するなって思うかもしれないけど

自ら命を絶つという決断をしてしまう人の背景には

全てに対しておかしいっていう気持ちがあるっていうことが

私にはすごく納得だった

 

美しい世界を見たいのに、見える世界は

争いや、競い合い、人を愛する世界ではなくて

妬み、憎み、嫉妬する世界

 

美しい声、美しい言葉、美しい会話、美しいハーモニーが聞きたいのに

聞こえてくるのは不平不満や人の悪口、自己否定や他者否定の言葉たち

 

美しいメッセージ発信がしたいのに

自分には発信できることがない現実

影響を与えることなんてできないという自己否定感

 

美しい生き方をしたい

美しい生き方を創造したいのに

お互いを高め合うどころか足の引っ張り合いで

何の為に生きているのかもわからない

自分が何を創造し、何を残すことができるのかもわからない

 

こんな見える世界、聞こえる世界、自分が生きている世界に対して

おかしい・・・って

でも、どこにも出口がなくて

どこに進んだらいいのかもわからなくて

おかしい・・・って

そんな訴えがあるんだってことで理解できる世界がある

そんな風に感じた

 

そして、

「だから自殺0にしないとダメなんだよ」

この言葉には、

見えること、聞こえること、喋れること、歩くこと

そして生きていることに対してのおかしいを解決しない限り

自殺0はなくならない

そんなメッセージだと感じた

 

この世界がどのように成り立っているのか

どのように生まれて、どこにむかっているのか

見えている世界を、どのように観て解析するのか

自分自身とこの世界がつながること

そして、世界を一人ひとりが自由に創造できるようになること

 

そんなことに対しての答えがでない限り

「おかしい」は解決しない

そんな風に感じたQ&Aだった

 

答えを探す生き方ではなく

答えを得たところから新しい生き方をスタートさせる生き方

認識技術「nTech」によって得られる生き方だなって

自分の中での確信が深まった

 

私にも「おかしい」時期があったからわかる

何を解決しなければいけないのかがわかれば自殺0の世界も

つくることができる

確信が深まった夜なのでした^^

 

このQ&Aは令和哲学カフェでの一コマ✨

ご興味のある方は是非!

reiwaphilosophy.com

「探す」から「見つけた!」生き方の変化

最近20代の子と話をする機会が続いた

そこから私自身の過去を思い出した

私は、20代の頃って自分の人生に悩んでいる時期だった

というか、小さい頃から夢が持てなくて

私はどこに向かって進んだらいいんだろうって悩みながら

でも答えがでなくて。。。ずっと悩みながら大人になっていった

 

社会に出て働いて

でも本当にこれって私が力を注ぎたい仕事なのか

もっと何かあるんじゃないか

私にむいている仕事ってなんなんだろう。。。

もっとこの仕事だったらしたい!!

そう思って取り組める仕事、生き方ってどんなものなんだろう

そんなこと思ってた

 

仕事を辞めて次の仕事を探すといっても

やりたいことも、進みたい方向もわからないままで

次の仕事なんて決められない

でも生活するためには仕事をしないと生きていけない

親に心配かけることもしたくない

友達にもこんな自分の状態相談できない。。。

 

とにかくお金を稼がないと生活できないから

日雇いの仕事始めたけど不安な気持ちが膨らむばかり

そんな中で仕事中に変質者にあったりして更に気持ちが凹んだり

変な電話がかかってきて電話に出るのが怖くなったり

そんな自分が惨めで、どうしようって夜な夜な一人で泣いた日もあった

懐かしい・・・

 

どんな生き方がしたいんだろうと探す

自分に向いている仕事ってなんだろうって探す

自信をつけるための手段を探す

満たされない心を補う為にパートナーを探す

 

私たち人間は探すことをしながら生きている

何を見つけたいのか

探しているものがなんなのかもわからずに探している

手探りの中「探す」という生き方を続けている人

それに対して、見つけることができた人

この探すと見つけるではプレートが違うんだなってふと感じた

そして一つひとつプレートが変わった時には

自分のアイデンティティも変わらないといけない

見つけたのに探すアイデンティティで生き続けていたら

見つけたものが活かせない

 

良くも悪くも自分の現在地を明確にすること

これがとても大事なんだね^^

 

20代のあの苦しい日々・・・

経験としてみたら年齢が上がるとともに成長するものはある

だからもちろん成長はするものだ!とみることもできるけど

経験だけではなく認識の変化からの成長が起こること

これが経験を通しての変化よりも10倍も100倍も1000倍も大事

 

20代の頃のあの不安な心、惨めな心の状態でいくら経験を積んでも

今の私にはならなかった

「見つけた!」生き方を、もっと実践していこう

そんな風に思った今日この頃^^