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言語の持つ力

言語の持つ力について考えてみる

人との出会い、疎通、交流の中で言語は当たり前に使われる

でも、その言語からどんな影響を私たちは受けているのだろうか

 

言語だけではなく、見えること、聞こえること、話せること、触れられること

全てにおいて自分と何らかの関係がある

でも、見えることも、聞こえることも、話せることも、触れられることも

あまりにも当たり前すぎて自分との関係や、そこからの影響について

考えてみるということがない

 

ということで、今回は言語の持つ力、影響力について考えてみたいと思う

おぎゃー!と生まれたその瞬間

私たちの目の前には真っ白なキャンパスが広がっている

まだ「ママ」という存在も知らないし、「私」という存在も知らない

その状態から、名前をつけ「○○ちゃん」と呼ばれたり

「ママですよー」「パパだよー」って周りからの投げかけによって

この人は「ママ」なんだ、「パパ」なんだということを知る

 

こんなことが繰り返し行われ、真っ白なキャンバスに

言語の影響によってたくさんの人や物が誕生していく

人や物の存在だけではない

言語によって、嬉しい、悲しい、面倒くさいというような

考えや感情も生まれるようになり

言語の持つイメージや意味に縛られるようになっていく

 

言語によって、自分と自分が見ている世界との関係が生まれ

自分と自分の中から生まれる考えや感情との関係が生まれる

そして、それが当然化してしまい

そのイメージを破壊すること、自由になることはとても難しくなる

 

その知ってしまった世界から自由になる為には

知っている世界をオールゼロ化する認識技術が必要になるんだけど

今回は言語と自分の関係性についてを考えてみる

 

私たち人間は目に見える世界、音が聞こえる世界、触れることができる世界を

絶対だと思い、何かあった時にはその世界をどうにか変化させようとする

でも、実は目の前に広がる世界は結果的に出来上がった世界だから

その世界を変化させようとしても難しい

 

言語によって、事物が存在し、考え・感情も生まれるのであれば

その言語そのものの持つイメージや意味を再規定したうえで

その言語と自分との関係性を結びなおし、この現実に反映させる

それが大切だったりする

 

例えば、責任という言語に対してのイメージ

責任ってとても重たいもののイメージがある

間違いを犯してはいけないものとか、切腹につながるようなイメージだったり

そのイメージを持っていると、責任は負いたくないものになるので

ネバべきだったり、自分に重くのしかかるプレッシャーみたいなものになる

そんなイメージの中、これはあなたの責任だからね!

そんな言葉を投げかけられたらどうだろうか?

 

それに対して、責任は自分への信頼

そんなイメージだったらどうでしょう?

どれだけ自分自身を信頼できるのか、愛せるのか、尊重できるのか

それが責任だって言われたら、同じ質問を投げかけられても

先ほどのイメージとは全く違うものとして受け取ることができると思う

 

先ほどもお伝えした通り、言語に対するイメージ転換を明確にしたいと思ったら

自分の持っているイメージをオールゼロ化することができないと

本当の意味での転換を起こらない

だから認識技術が必要になるんだけど、もしこんな風に今までに

出来上がってしまったイメージから全く新しいイメージへの転換がおきて

その言語のイメージと自分が良い関係を結ぶことができたなら

見える世界は待ったく新しい世界に変わってくると思いませんか?

 

もっと主体的にワクワクできる

私はそんなイメージがくる

 

今自分が知っている意味価値に縛られる必要なんてどこにもない

単語一つに対するイメージや意味だって自分で生み出すこともできるし

新しい言語創り出すことだって本来、自由自在

 

言語によって、一人ひとりの世界が作られるのであれば

言語を利用して一人ひとりの世界を自由に創り上げればいい

より主体的にワクワクしながら

 

言語 奥が深い!